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教師は聖職者でないことを知るのも教育

まだ広い社会を知らない子どもの頃というのは、身近な存在である「親」や「先生」は「絶対に正しい存在」と考えていた人も多くいるのではないでしょうか。もちろん自分の親や学校の教師を「敬う」、その気持ちは大切ですが、「正しい」「完璧だ」と思っていた人が「そうでなかった」ということを知るのも、教育や生きていくうえでは必要なことです。世の中で「教育者イコール聖職」という信仰は消えつつありますが、それでもまだ一部には残っています。聖職者に求めるものって何でしょうか。罪を犯さない人・人間性が優れている人・正しい人・思いやりあふれる人、そんなところでしょうか。しかしながら、現実の教師は決してそんな完璧な人間ではありません。そして「親」もそれと同様です。自分にとって完全だと思っていたり、要求するものが多ければ多いほど失望が大きくなります。絶対に正しいと思っていたものがそうではないことがある、完全だと思っていた親にも欠点がいくつもある、それを受け入れていくのが大人になっていくことです。それは自分が考える価値観を育てていくことであり、人間として自己を確立していくための大切な課程であるともいえるでしょう。

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